探求心があるからこそ壁にぶつかることがある。
それをポジティブに乗り越えられたときに自由を手にできる。

探求心があるからこそ壁にぶつかることがある。それをポジティブに乗り越えられたときに自由を手にできる。

フリーライドスキーヤー

佐々木 悠


カナダで活躍するプロのフリーライドスキーヤー、佐々木悠氏。果敢に雪山に挑みながらも、思うがままに滑る彼のライダー魂は、Peak Performanceのミッションである「UNLOCK YOUR FREERIDE SPIRIT」そのもの。そんな佐々木氏が考える自由とは、挑戦とは、「UNLOCK YOUR FREERIDE SPIRIT」とは、という問いをぶつけてみた。

札幌で週末スキーヤーからカナダでプロに転向

子どもの頃から身近なスポーツだったスキーやアウトドア

札幌で生まれ育ち、高校生まで暮らしていた佐々木氏。アウトドア好きの父親の影響で、子どものころからスキーにも慣れ親しんでいたという。

「自宅から車で230分のところにスキー場があったので、子どもの頃は遊び場のひとつでした。すごくスキーにはまっていたかと言えばそうでもないんです。雪が積もったゴルフ場にジャンプ台を作って遊んだり、いわゆる週末スキーヤ―でしたね」

とはいえ雪国のスキーのレベルのスタンダードはただ楽しく滑るだけでもなさそうだ。

「高校時代は、キロロのスキー場でインストラクターのアルバイトをしていました。その程度は滑れたんだと思います。でも、スキーにはまっていく人は、それから腕を上げて試験を受け、デモスキーをするかモーグルなどの競技に入るかといったように分かれますが、僕はそのどちらにもはまりませんでした」

ワーホリでカナダへ。スキーのイメージが一転、プロを目指す

高校を卒業すると、ワーキングホリデーのためにカナダへと行く。カナダに決めたのは、高校時代のアルバイトの先輩が、カナダのウィスラーという街がとてもいいところと話していたからなのだそう。決してスキーを生業とするためでなく、広く世界を見たいという思いからだった。

「現地の人のスキーが衝撃的だったんです。老若男女問わず、自由に滑る。ウィスラーのスキー場は日本とは比べ物にならないほど広く、日本では見た事のないようなものすごいスピードで滑る人も多く、若い人たちがジャンプを楽しんでいる姿もあって。初めてスキーってかっこいいスポーツなんだと思ったのです」

そして1シーズン、スキーを存分に楽しんだところで、なんとプロになることを決意したという。

「スイッチが入ったんでしょうね。カナダ人の自由さがとてもまぶしく見えたのだと思います。19歳でカナダへ行き、2122歳くらいまではジャンプ台などがあるパークで練習することが多かったです。そしてゲレンデ、バックカントリースキーと、腕を磨けば磨くほど、僕の滑りのスタイルは自由度を増していった気がします」

スキーは僕にとって人生そのもの

No ski,No life――人生のすべてがスキーとリンク

「今の人生はすべてスキーがあって成り立っています。スキーがなければカナダにも住んでいないし、今の家族とも出会っていない。カナダでスキーをしていなかったら、今ごろ僕の人生はどうなっていたんだろう……」

それほどまでにスキーは彼の人生とともにある。だからといって子どもたちにもスキーをしてもらいたいかというそうではないようだ。

「いろんなスポーツや遊びを楽しんで、結果、スキーがしたいって言ってくれたら最高ですけどね」と父親の顔も見せてくれた。

自由そのものを表現するのがフリーライドの魅力

子どもの頃から憧れてきた自由は、今フリーライドという競技をすることで体現をしている。そもそもフリーライドという競技は、滑りやすいように整えられたゲレンデではなく、自然のままの地形を滑るスキーのスタイルだ。

「フリーライドという競技は自由そのもの。目の前にある斜面を、自分が滑りたいように滑ることで自分らしさを表現し、それを見ている人にスキーの楽しさを伝えるというのが僕の仕事なんです」

楽しさを伝える術として、自然の地形を舞台に繰り出す迫力のトリックやエアだ。これらを表現するには自由と隣り合わせに、恐怖や困難といった大きな壁も立ちはだかる。

自探求心をもって困難をポジティブに乗り越える

フリーライダーである佐々木氏に「フリーライドスピリッツを持っていますか?」という質問をぶつけたところ、「はい」と即答だった。

「僕にとってのフリーライドスピリッツは自由の追求と、探求心を持ち続けること。これを実現するには困難なこともあるし、壁にぶつかることも多いです。それをポジティブに乗り越えることがフリーライドスピリッツだと僕なりに解釈しています」

2019年からのフリーライドワールドツアー への参戦をきっかけに、一気に知名度が上がる。海外のムービープロダクションやシネマフォトグラファーとの撮影をする機会が増え、徐々にコンペティションからフィルミングを中心とした活動へと移行。そんなタイミングで2022年にアキレス腱を断裂する大怪我に見舞われている。まさにこれが彼に待ち受けていた困難だ。

「リハビリの間は仲間をサポートしたり、自分の補強トレーニングに当てたりなど、自分が今できることは何かを考えながら前向きに取り組んでいたと思います。これは僕にとってはUNLOCK YOUR FREERIDE SPIRITを体現できた経験のひとつなんです」

彼がケガをしてから復帰するまでの様子は「EAGLE PASS」という映像で見ることができる。

僕のフリーライドスピリッツの原点は両親との対話

佐々木氏にとって自由は憧れの象徴だったのかもしれない。

「僕の両親は教師をしていて、案外厳しく育ったんです()。生徒たちの模範となる教師なので、ルールや規則を重んじでいて、それが子ども心にとても窮屈な感じだったんです」

知らず知らずのうちに、教師の子どもである自分に少し自由が欠けているのでは、という思いを募らせるのと同時に自由への憧れを強くしていったのだろう。

「できるだけ思ったことは両親に話すようにしていました。中三の夏休みになると、自転車で北海道一周の旅をしたいと提案したことも。そういう僕を両親は受け入れてくれ、少しずつ自由を手に入れていったのだと思います」

恐怖と緊張を興奮に変えられる自分でありたい

リミットを外すことができたキッキングホースでのジャンプ

Peak Performanceのミッションである「UNLOCK YOUR FREERIDE SPIRIT」がいかに佐々木氏の人生にとって必要なマインドなのか、それは彼の活動が証明している。しかしこれはフリーライダーの彼だけに言えることではない。誰の人生にとっても、どんな状況であっても、自分のリミットを外して次のステージに行くことは人生をとても豊かにする。 

「フリーライドをしてきて中で、自分の思う存分解放できた、リミットを外す滑りができたのは、今でも忘れないキッキングホースで行われたフリーライドワールドツアーのときのジャンプです。あのときのジャンプの着地で感じた衝撃は今でも忘れられません。ものすごい音とともに着地し、翌日背中が筋肉痛になるほどだったんです」

このジャンプは世界のライダーたちに衝撃を与え、記憶に刻み込まれた。佐々木氏自身も、それまでの自分を乗り越え次なるステージにたった瞬間でもあった。

思いっきりのよさではない。緻密に計算された恐怖との向き合い方

リミットを外すことは、度胸や思いっきりの良さ、怖い物知らずといったもともと備わっているように思われるものではないと佐々木氏は言う。

「自由になって恐怖というリミットを外すのは、まず恐怖やリスクを自分自身が受け入れているからこそなのです。そして緻密に計算して作り上げたジャンプのイメージがあったからこそ、キッキングホースでのジャンプにつながりました」

実は彼が成功させたジャンプは前年にもトライしたライダーがいたが成功に至らなかった。そのときの映像を何回も何回も見たという。同時に実際にこのコースを何度も見て写真をさまざまな角度から撮影し、それを自宅のパソコンでみながらジャンプをするシュミレーションをする。

「頭の中では何千回も飛んでいます。そうしてようやく飛べるというイメージをつくり上げ、それが実現したのです。そこまでしても本番になると恐怖や緊張はあります。それを受け入れつつも、程よい興奮に変えられるからこそ、自分のストッパーを外して滑ることができるんです」

恐怖を受け入れつつも、イメージの確立によって自信を確信に変えた、ここで彼のリミッターは見事に外れたのだろう。

常に隣り合わせのリスクをコントロール

大会に出て競技をすることと、バックカントリースキーで雪山に入り撮影をすること。これを生業とする佐々木氏にとって恐怖はつねにつきまとう。それは大きなリスクを伴うからだ。

「大会ではある程度、救護がスタンバイしているなど安全性が担保されていますが、撮影の場合はそうではありません。だからこそリスクをコントロールする必要があるんです。そのためには必ず信頼できる仲間と行動をともにするのは僕なりのルールです」

こうしてリスク管理することも、自分自身を解放して挑戦をする土台となるのだそう。

「もう一つ、絶対に恐怖心を忘れないこと。これを受け入れずして、興奮だけで挑むとケガにつながるから」

Unlockこそが人生をかけてクリアするべき課題

40歳を超えても攻めるスキーができるかが今の課題

アスリートにはどうしても抗えない壁がある。それが年齢だ。若いときにできたことができない、ケガが増える、など思い通りにいかないフィジカルをメンタルでカバーしようとしたり、抗って葛藤し続けたりする。

「ライダーも同じです。まもなく40歳を迎える僕にとっては、40歳を超えてもなおアグレッシブな滑りがしたい、それが願望でもあり課題でもあります」

 そうあるために、40歳を超えたアスリートはどんなものであるのかといった自分の中のイメージ像と取っ払う必要がある。これもまた彼にとっては今後、自分自身の壁を乗り越えるべきものである。

自分の経験を若きライダーたちへ継承

子ども時代、週末スキーヤーであった自分自身をアウトサイダーであるという佐々木氏。周りのスキーヤーが子ども時代から滑りこんでいた経験があることに比べると、圧倒的に足りないものがあると感じているのだそう。

「だからこそ、カナダにきてプロになる決意をして、そこからは現地のスキーヤーにもまれながら技術などを磨きました」

こうした雑草魂があるからこそ、次の世代に伝えられることがある、と考える。 

日本の雪山カルチャーにフリーライドを根付かせるために、世界で戦える若いライダーを日本から輩出させたいし、雪山で遊ぶ楽しさを発信したいと考えています。そのために自分が今まで経験してきたことをどんどん後輩に伝えていくのも僕の役割だと思っています」

若きライダーへ告ぐ。プロとは技術と人間力があってこそ

佐々木氏が尊敬と信頼する仲間にサミー・カールソンがいる。子どもの頃から彼のビデオを見ていたのだそう。

「撮影に一緒に行くときのモチベーション、判断力、技術、メンタルといったすべての要素において秀でています。さらに人間性も素晴らしい。ライダーはスキーが上手なのはもちろん、彼のように人間性が優れている人こそプロなんだと思いますね」

スキーの技術は大前提としてあり、それと同等に人間力があったこそ、世界から愛されるプロになれる、そう佐々木氏は語ってくれた。 


佐々木 悠(Yu Sasaki)

1986年、札幌市生まれ。高校卒業後、語学留学のためカナダ・ウィスラーに渡る。そこでフリーライドスキーの魅力に取りつかれプロとなった。撮影や大会出場を中心に活動を続ける。2017JFO優勝、2018FWQ Hakuba優勝、2019FWT Hakuba4位、FWTワールドツアーに出場。並行して雪山のさまざまな撮影もしている。@yusasaki223


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